「人間は、考える葦である」

今日の朝、院長先生から「零輝、「人間は、考える葦である」って知ってるか?」と言われ、
少し考えましたが、僕にはそういった知識がなく、「あし」の部分が植物であることもわかりませんでした。

調べてからようやく、表面上の意味は分かりましたが、真の意味までは理解できませんでした。

調べたところ、
「他の強い木たちが折れていく中、葦は風に身を任せ、折れずに残る。
つまり、人は考える葦というのは、葦のように弱いが、その代わりに状況を理解し無理せず流れに身を
任せることができる賢い存在である」と書かれており、

また、別の記事では
「この言葉の前には、「人間は、自然のうちで最も弱い1本の葦にすぎない」というフレーズがあります。
つまり、折れやすく、壊れやすいからこそ、「考える」のだというのです。

ですが、現代の人間は
より折れにくく、より壊れにくく頑丈であろうとするために「考える」ことを、おろそかにしそれによって、
自分たち人間が折れやすく壊れやすいことを忘れているのではないでしょうか?」と書かれています。

これを読んで、確かに今は自分で動かずとも、情報や物が手に届いてきます。
それは自然界で考えればおかしいことですし、生き抜くための「考える力」が弱まっていると思いました。
一度満たされている状況から離れて「考える力」を磨くために、期間限定でもいいのでネットから離れた生活を送るのも
いいかもしれません。

受付 鈴木