大魔神の思い出

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。子供のころの記憶に鮮明に残っている

思い出は幾つかありますが、その中の一つとして、映画の大魔神を観に行った事が

あります。

   

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 大魔神は、私が小学校の低学年の頃、公開された映画と記憶しています。

当時は藤枝にも、映画館が3件ほどあり、怪獣映画などが主に、公開されていました。

 その頃は映画に行って来るといえば、祖母がおにぎりを握って持たせてくれて

映画館の中で、食べるのが当たり前でした。

当時から私は、映画は常に一人で鑑賞に行っていました。

当然この日も一人で、おにぎりを持って映画館に、テクテクでかけました。

 

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 映画の内容は確か、悪玉城主が農民たちに、年貢などを厳しく取り立て

ニッチもサッチもいかなくなった農民が、魔人の埴輪像に「助けて」とお願いすると

大人しそうな顔の埴輪像が、恐ろしい魔人になって、悪玉城主を成敗する。

というよな、お話しだったと思った。(間違っていたらスイマセン。)

 映画を見終わり、映画館の外に出るとすでに陽がかたむいていました。

当時の映画館は、劇場の前に長いケースがありその中に、今上映している映画のスチール

写真が飾られていました。

 私は、食い入るようにそれらの写真を、陽が沈む寸前まで、見入っていました。

 

 

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すると突然、明日学校に行かなければならない事や、楽しみにしていた映画大魔神を

観終わってしまった事。はたして次の楽しみは、いつ訪れるのだろう?

など、急に現実の事柄が頭の中によぎり始めて、私はとても悲しい気持ちになってしまい

半ベソをかきながら家に帰った記憶があります。

私は、とても学校が嫌いな子供だったので、いたずらをして父に殴られた記憶などは、

あまり鮮明に残っておらず、このような日曜日の夕暮れ、「明日学校に行かなければいけな

い」という状況下で、何か自分の中での祭り事が、終わってしまうと、とても悲しい記憶として

鮮明に残ってしまうのです。

さすがにもう、この「明日学校に行かなくちゃ」症候群は無いだろうと思いきや、

50歳を過ぎた今も、時々現われます。はい。

 

 

 

 

 

 

ピロリ菌に感染していた事

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。

3年ぐらい前から胃腸の調子が良くなくて、自分では年齢のせいだろうなどと思っていたのだが

今年の9月頃から胃の痛みが、昼から夜にかけて激しく痛むので病院に行って、

胃カメラを飲んだ結果、胃潰瘍になっているとの事、おまけにの可能性もあるという。

早速、胃の組織を採り検査に出すとになった。検査の結果が出るまで2週間掛かるという。

「2週間こんな不安な気持ちでいられるかよ。」と思いつつ3年にいちどの藤枝大祭に、

3日間参加した。もう気持ちは祭りどころではなかった。祭りが終わって検査結果を聞きに行くと

ではないとの事、しかしピロリ菌に感染していた。

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上の写真が、ピロリ菌である、こんなへんてこな名前の菌に3年近く自分の身体が振り回されて

いたかと思うと腹が立つ。先生が、「除菌しますか?、どうしますか?」と聞くので

「除菌します。」と言ったのだが、「どうしますか?」と聞くことは、断る人がいるのだろうか。

なにはともあれ、除菌の薬を飲んで今は、除菌できたか結果待ちである。

ここ10年ぐらいの出来事の中で、自分の中では大事件でありました。

防災訓練

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。

昨日、藤枝消防署の皆さんと瀬戸川の河川敷で、地区の自衛団の代表と合同で、

消化訓練と、可搬ポンプの使用訓練がありました。私は今、地区の自衛団長なので、

この訓練に参加してきました。去年も、参加しましたが

年々参加する人たちが増えてきています。それほど皆さん防災の意識が

高まっているという事です。はたして、いざという時、自分は自衛団長としてどの程度戦力になる

のか、考えさせられる一日でした。[E:rock]

下部温泉旅行記

 こんばんは、歯科技工士の杉山です。

山梨県に下部温泉郷というところがあるのをご存知ですか?武田信玄の時代からあるそうで

大変歴史ある温泉のようです。たまたま七年ぐらい前に、本栖湖から52号腺に出て家に帰ろう

として、車で走っていたらこの温泉が目に入ってきました「こんなところに温泉郷が、あるんだ

ちょっと寄ってみるか。」私と妻は、車で温泉郷に入っていきました。

中に入ると、何とそこは、昭和時代にタイムスリップしたようななんとも不思議な湯治場でした。

Photo 二十代の頃、(現在五十代)読んだ夢野久作の

「氷の涯」という短編小説で、内容はほとんどおぼえていませんが、第二次大戦下の中国で、

日本軍の基地で、軍人と、軍で働いていた日本人の女性が、何かとんでもないことをしでかして

軍に居られず(このへんがまったく憶えていない。スイマセン。)二人で、死を覚悟で猛吹雪の

中、そりに乗って旅に出るというおはなしなんですが、この最後のくだりがひどくロマンチックに

思えて、ここだけが印象にとてものこっています。

何をいいたいかというと、この下部温泉の雰囲気は、(何かやらかして身を潜めて暮らすには

この場所しかない。)というようなくらい隠れた温泉郷なのです。

(下部温泉に在住の方たちスイマセンほんとに良い意味でですよ。)

このときに私は、どうしてもここに泊まってみたくなり、二ヶ月後に妻と、宿泊しにきました。

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ただし私も妻も何かやらかして、来たわけではありません。

Photo_3 何かやらかしそうな女、

ざんねんながら私の妻です。

伯父の蜜柑農園

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。私の父の実家が、蜜柑農園を営んでおり、

今年の始め1月に、父の兄であるこの蜜柑農園の経営者である伯父亡くなった。

 名前は武司さんといい生真面目な人だった。

生前に、この家に遊びに行くと蜜柑の最盛期に武司さんがダンボール1箱の蜜柑を

「持ってけ。」と必ずといって良いほどくれた。

 今月十二月の中頃、この家に用事があって久しぶりに行った。

今、蜜柑の最盛期だが、主を失った蜜柑農園は荒れてしまっているのかと思い家人に、

農園の具合を尋ねると、以外にも定期的に農協の職員の人たちが、消毒を行ってくれている

そうで農園は荒れる事もなく、蜜柑は無事に育っているとのこと。

私と、かみさんは早速、山に徒歩で登り蜜柑農園を目指した農園に到着すると武司さんの次女

が、蜜柑切りをしていた、彼女は、私と従姉妹である。

 私は、以前、武司さんがまだ元気だった頃、この農園の後継者がいない事から、

自分が、武司さんの手ほどきを受けて、蜜柑農園の後継者になってみようかな、などと

かなり都合の良い考えを持ったことがあった。

今、眼前で、従姉妹が蜜柑切りをしている姿を見ていると、私などが中途半端な気持ちで、

蜜柑を育てる事など、出来るものではないことを実感させられた。

しばらく蜜柑切りをしている従姉妹を見ていると、従姉妹が、突然「切りたての蜜柑食べる?」と

聞いてきた。

私は、「ああ。」と言い、蜜柑を一つもらい食べてみると思ったより甘くなかった。

従姉妹は、「切りたては、まだあんまり甘くないの、切ってから、日にちを置くと段々

甘くなっていくの。」といった。

私は「ふーん、そうなのか。」と感心してしまった。

 帰りは、かみさんと従姉妹は、軽トラックの運転席に乗り私は、荷の番という事で軽トラックの

荷台に乗って、山を降り、武司さんの家に着いた。

私たちは、おみやげに蜜柑を30個ばかり貰い帰った。

 蜜柑農園の山が、あまりに寒かったため、その日は、貰った蜜柑を食べる気がしなかった。

来年も、武司さんの蜜柑農園の蜜柑たちが、甘く育つ事を願う一日であった。

 

本当にあった恐い話

 こんばんは、歯科技工士の杉山です。

夏も、もう終わりですね。 そこで過ぎ行く夏を惜しんで、時期外れですが、怪談話を一つ。

 私の家の側の、あるお寺は朝の6時になると、鐘を突く、いわゆる江戸時代の「明け六つ」の

名残である。

当時、姉と私は、家の2階で寝起きしていました。

ある日を境に、この寺の鐘が鳴る5分前位に、妙な胸騒ぎがして、目が覚める朝が1週間に3日

位あるようになった。 この胸騒ぎで目覚めた朝に限って、階段を「ドン!ドン!」と2段踏み込

む音が、聞こえるのだった。

 最初は、自分だけに聞こえるのかと思ったのだが、姉に、この話しをすると、

姉も聞こえたと言う。

 私たちは恐ろしくなり、足音が聞こえた朝は、この話で、もちきりだった。 しかし足音は

聞こえても、、何かが起こるというわけではないので、私も姉も、足音は怖いが段々この音に、

慣れてきたのでした。

この足音が、聞こえ始めて1年が、経とうとした頃、いつもの様に

お寺の鐘のなる5分まえに妙な、胸騒ぎと供に姉と私は、目覚めました。 

 すると「ドン!ドン!ドン!」なんと足音は、いつもと違い階段を3段踏み込んだのだった。

 「うわ!足音が階段を上がってきている。」私は姉の部屋に行き、

「おい!あいつが階段を上がってきているぞ!!」  姉も「どうする!いつか階段を登りきって

しまったらどうしよう!!」

 姉と私は、パニックになり家族にも相談したのだが、家族はただ笑っているだけだった。

もし足音が、階段を登りきってしまったらどうなるのだろう。 姉と私は、毎日が、恐怖だった。

 しかし、私たちの意に反して、その日を境にあの足音は、それきり聞こえなくなってしまった。

もうあれから、40年近く経つが、1度もあの足音は聞こえてこない。

 あの足音、何だったのでしょう。

以上が、「本当にあった怖い話」です。

 時期外れの階段も、オツなものだと思いませんか?

血糖値が高い!

  こんにちは、歯科技工士の杉山です。1週間程前、仕事中に急に気分が悪くなり

病院に行ったら血糖値が高い、と言われてびっくりしてしまった。

毎年の健康診断では1度も、血糖値が高いなんて言われたことは無かったのに何でだろう?

原因は色々あるだろうが、長年にわたる食事の早食い、好物の、甘いチョコレートとコーヒーの

組み合わせ、などが上げられると思われる。

自分としたら、運動も定期的に行っているので非常にショックを受けた。2、3日は落ち込んだが

4日目あたりから、気を取り直して食事も、1食に30分以上かけて食べるようにし、チョコレートは

食べることをやめることを決意した。この生活を暫く続けて、今一度、検査を受けて正常な血糖

値を獲得したいと思う丸山歯科医院の技工士です。

ボクシングを観戦した事

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。

先日姪っ子の結婚式に出席しました。新郎の名はカズヤ、新婦はジュリといいます。

カズヤは中学、高校、大学とずっとボクシングを続けていました。

Photo 大学を卒業して、一旦は就職をしたが、

どうしてもボクシングが諦めきれずプロテストを受け、見事合格!

3年間だけという約束で、プロボクサーデビュー。

そしてこの前、富士市の、富士山メッセで試合が行われたので、妻と観戦にいってきました。

リングに上がったカズヤは、大学を卒業して私と妻に「ジュリと結婚をしたいです。」

とガチガチになって挨拶に来たカズヤとは、まったくの別人で彼は光り輝いていた。

試合の結果は、第1ラウンドでカズヤの放った左ストレートが相手の顔面にヒット!

相手の顔の骨折により第3ラウンドでドクターストップが入り、見事カズヤの勝利!

Photo_4 初めて生で観たボクシングは、大迫力で

試合を行った選手たちから、パワーを貰った気がした。この気持ちのまま次の週の日曜日

焼津港マラソンに参加した。詳しくは、院長のブログ「焼津港マラソン」をどうぞ。

試合を観た日、興奮して「自分も何かをしなければ」と思う一日でした。

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Photo_6 結婚式に現れたK1のヘビー級チャンピオン

藤本京太郎選手かなり大きかったです。」

桜が池と私

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。

突然ですが、遠州の七不思議のひとつ、桜が池をご存知でしょうか?

この池に初めてきたのは、確か小学校3年生の頃だったと思う。当時私は

団体行動が大嫌いにも関わらず、カブスカウトというボーイスカウトの弟分の

ようなものに入っていた。今思うと、このほうが七不思議に思える。

この池に来た目的というのが、確か宿泊訓練だったと思う記憶が曖昧なのは、

この池に来る途中、浜岡砂丘で昼ごはんを食べたのだが、運悪く強風の為、おにぎりが                                         

Photo_4   砂まみれになりジャリジャリの

ご飯を食べなければならなかった事と、極めつけは半分腐りかけ、蛆が湧いている馬

の屍骸が捨ててあったのだ。その臭いは棲さましかった。

これ等の強烈な事があったため、宿泊施設に泊まって何をしたのか全く記憶に無い。

今では考えらない事だが、40年以上前なら有り得たことだった。

2度目に来たのは20歳の時だった。当時の状況は、父の希望で入学した法律の学校を、

自分の勝手な考えで、中途退学してしまいクサッテいる時だった。

当時この池の畔に小さな小屋のようなお土産屋が在り、私はこのお土産屋に就職したいと

本気に考えていた。 この池を1日眺めて過ごせたらどんなに素敵だろうと夢見心地だった。

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下手糞な絵だが、確かこんなこんな感じだったように思う。

当時をよく知っている方がいらしたら、大変申し訳ない絵ですいません。

先日、何十年振りに桜が池を訪れたが、かつて就職したかったお土産屋はもう無かった。

日常に疲れた時、ふとこのお土産屋の事が思い出される。

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歯科技工士、防災指導員になる。

 こんにちは、歯科技工士の杉山です。今年の、3月11日に東日本大震災が発生しました。この事により、東海地震が起きたとき、どの様に行動するか考えさせられました。

去年、町内で「防災指導員になってくれ。」とたのまれました。その時は正直「めんどくさいなー。」というのが実感でした。

今年の6月から7月にかけて計6回の防災講習に行ったのですが、日頃の防災対策が、実際に大地震が起きた時に生死を分ける事を実感しました。

この事を知ってか、7月のリーダーミーティングで院長が丸山歯科医院の防災委員に私を、任命したのです。それから院内の防災マニュアルの作成などしましたが、いざ地震が起きた時、私自身どれだけ冷静な行動をとることができるのか、かなりの不安はあります。

こんな事があって今年は「初級の防災指導員」の講習を受講したが、来年は中級を受講してみとうと思う今日この頃です。